どうも!土谷ヒロです。
新元号の発表が2019年4月1日に政府からあり令和に決まりました。5月1日から令和元年の幕開けになりお祝いムードが高まる機運にありますよね。
平成の終わりとともに道の駅平成が脚光を浴びていますが、令和時代に突入し令和村はいつできるのか気になります。また、道の駅平成(平成村)は岐阜県内にありますが、令和村はどこに誕生するのかについても考察していきます。
平成村の次の令和村いつできる?
平成の時代が終わり令和の時代に入れば令和村はいつできるのか?すごく気になりますよね。
そもそも、令和村の前の平成村は、正式にはまだ存在していないのですが、岐阜県関市下之保の道の駅平成が平成村?として脚光を浴びています。もともとこの場所が平成(へなり)という地名だったことが由来のようです。
道の駅平成が平成村としての位置づけは難しい所ですが、道の駅平成とはどのような施設か簡単に紹介します。
道の駅平成
・場所:岐阜県関市下之保2503−2
・名物:しいたけかつ丼、原木しいたけ、椎茸すなっく(楽天市場で購入可能)、しいたけバーガー、しいたけコロッケ、しいたけ狩り、ロングアップパイ、焼きたてパンなど
椎茸が特産品で色々な調理方法で食べることができます。
・施設:平成足湯治(超音波足湯)、椎茸園(椎茸の摘み取り体験施設)、しあわせの気の森(不動明王のご霊魂がこの池を守護していると言い伝えられ、毎月300人が運勢占いに挑戦に訪れる人気のスポット)、パン工房平成(ロングアップルパイなどが名物)、御食事処(こぶし街道、平成福楼、だんご屋さん、蕎麦屋さん)
駐車場が少ないので、土日問わず平日も賑わっています。
道の駅平成の開駅日は不明になっていますが、登録日は1996年4月16日になっているので、平成に入り5年後くらにオープンしています。
道の駅平成の由来は、「平成」に改元された際に、武儀町内の小字に「平成(へなり)」という地名があることが分かり、古くは安土桃山時代の太閤検地で「へなり」という記述が存在し、江戸時代には「平成」の文字があてられていることが由来のようです。
令和という地名が日本のどこかに存在すれば、その場所に令和村ができる可能性が高い訳ですが、今のところ日本に令和という名前の地域は存在していません。
なので、どこの場所にできてもおかしくない訳ですが、自治体や地域の駆け引きがありそうですよね。また、道の駅平成の例のように古い地名の由来から新しい説が浮上する可能性があるので、日本のどこかで発表があるかもしれません。
令和村ができる時期は、訪日客が増え観光誘致合戦が盛んな昨今の状況により、恐らく令和元年が幕開けして、まもなくどこかの地域にできる可能性が高いと思われます。発表が楽しみですね。
令和村ができるなら岐阜県の可能性が高い?
令和村がいつできるのかと合わせて、できるならどこにできるのか気になります。道の駅平成(平成村)は岐阜県内の地名からの由来により誕生しているのですが、やはり令和村も岐阜県内にできる可能性が高いのでしょうか。
岐阜県内には、道の駅平成(平成村)の他に、日本大正村、ぎふ清流里山公園(旧日本昭和村)があります。
日本大正村
日本大正村は、岐阜県恵那市明智町にあるテーマパークです。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀の生誕の地としてもゆかりがあり注目を集めそうな施設です。
日本大正村の由来は、この地区の急速に過疎化を迎えていた時代背景があり、「大正村の看板を立てれば、人はきっと集まる」という合言葉をもとに作られた施設で、大正時代のレトロな町並みが存在しますが、地名や歴史の由来はなさそうです。
ぎふ清流里山公園(旧日本昭和村)
ぎふ清流里山公園(旧日本昭和村)は、岐阜県美濃加茂市に昭和30年台の里山をイメージした体験テーマパークとして誕生しています。
平成の前の日本昭和村ができたのが、2003年4月16日(平成15年)で昭和が終わり15年後に作られています。今現在は、ぎふ清流里山公園として生まれ変わっており、正式名称は平成記念公園になりました。
昭和村が平成村?のような位置づけ?になったようですが、テーマパークは昭和の時代を思わせるような建物が多く存在し、体験施設としては、そば打ち体験などの他に、リニューアル後はインモーションと呼ばれるセグウエイみたいな乗り物や3Dシアターが登場しています。
昭和村という名称は日本各地に存在するのですが、全く地名や由来がない岐阜県美濃加茂市にできた理由は、とくに由来がないようですが、やはり大正村同様に、人を呼び寄せて町や村に活気を持たせたいという狙いがあったと思われます。
また、日本昭和村からぎふ清流里山公園に名称を変更した理由は、入場者の減少に歯止めをかけるために、入場料を無料にし、平成生まれの親が子供たちと楽しめる施設として楽しめるように生まれ変わらせリニューアルさせています。
結論
令和村が岐阜県内にできる可能性が高い理由は、大正村や旧日本昭和村のように岐阜県の観光事業の取り組みとして、人を呼び込み活気を与え町を活性化させたいという想いが強くある県民性により、実現する可能性が高くあると思われます。
岐阜県が日本の真ん中に位置しているので、日本文化が偏りなく取り入れられること、アクセスがしやすのも理由の一つです。
まとめ
・令和村がいつできるかは、訪日客が増え観光誘致に積極的な自治体が増えているので、令和元年が始まり、お祝いムードが高い時期に早い段階で発表される可能性が高いと思われます。
・令和村がいつできるのかは、日本大正村や旧日本昭和の例のように、岐阜県の観光事業の取り組みで人を呼び込み地域を活性させたいという県民性により、岐阜県に作られる可能性が高いと思われます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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