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平成狸合戦ぽんぽこの最後のセリフの意味は?正吉・ぽん吉のラストシーンについても

雑記

映画「平成狸合戦ぽんぽこ」は現代社会をを風刺する作風で、人間との戦いでタヌキたちの奮闘するシーンが涙をそそりました。

悲しい場面が多い印象ですが、ぽん吉の最後のセリフの意味正吉との再会するラストシーンについてみていき、最後の結末をみていきます。

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平成狸合戦ぽんぽこの正吉・ぽん吉のラストシーン

映画「平成狸合戦ぽんぽこ」は、タヌキたちの住処を守るために人間との対立を描いた作品ですが、多くのタヌキたちや人間たちが亡くなっているので、悲しいイメージがあリますよね。

でも、最後には、タヌキたちと人間たちは上手く共存することができるようになったのでしょうか。

まずは、少し簡単にあらすじをおさらいします。

あらすじ

昭和40年代の多摩丘陵で暮らすタヌキたちが人間たちの「多摩ニュータウン」の開発に反対し、住処を守るために戦い、反抗にかけた年月は約4年間という長き戦いです。タヌキたちは「化け学」という「人間を化かす技」を使い「多摩ニュータウン」の開発を阻止するべく、あらゆる手段を使い闘うのですが、タヌキたちの奮闘むなしく人間たちに敗北し、多くの仲間が犠牲になり、結局失敗に終わってしまいます。

この戦いで、タヌキの多くの仲間たちが命を落とすわけですが、残ったタヌキたちはどうゆう心境だったのでしょうか。最後には、変化できないタヌキたちと人間に変化できるタヌキとの再会のシーンがあります。

最後に正吉とぽん吉が再会するシーン

その後、タヌキたちはバラバラになり、化け学を使えるタヌキたち(正吉たち)は人間界の慣れない生活に苦労しながらも溶け込みました。
正吉はストレスに耐えながらサラリーマンとして暮らしていた。ある日、仕事帰りに1匹のタヌキが横切り、追いかけてみると、タヌキたちが宴会騒ぎをしています。
正吉は群れの中で踊る幼馴染みのポン吉を見るなり、正吉もまたタヌキの姿になって再会を喜び合いました。

最後は、少しホッとする場面でもありました。どの道を選んだタヌキも大変な暮らしを強いられていますが、少しでも、再会の喜びを分かち合える場面があったので、少しは救われた気がしますが、正吉は最後に視聴者にメッセージを残しています。

平成狸合戦ぽんぽこのぽん吉の最後のセリフの意味

ラストシーンで再会を喜びあった正吉ぽん吉たちですが、最後にぽん吉が視聴者に向けて語りかけた最後のセリフの意味が気になります。

最後のぽん吉のセリフ

あの… テレビや何かで言うでしょう。
「開発が進んで―キツネやタヌキが姿を消したって、あれ やめてもらえません?そりゃ確かにキツネやタヌキは化けて姿を消せるのもいるけど…でもウサギやイタチはどうなんですか?自分で姿を消せます?」

タヌキやキツネは、姿を変えることで、人間界に溶け込むことができますが…(変化できないタヌキもいます。)まして、ウサギやイタチなど他の動物は姿を変えることはできません。

人間たちは、ウサギやイタチのような他の動物達もタヌキのように変身することで、姿を消したと思っていることを痛烈に批判しています。

住処をなくして死んでいった動物たちがどれほどいたのか、人間たちはそれをわかっているのかという強いメッセージのように聞こえます。

人間たちの環境破壊などの自分勝手な行いは誰かが犠牲になっているのだよ。環境や周りの生き物を大事にしない行いの愚かさを避難する、心に響くメッセージが込められているようで、日頃の、自分たちの行いを改めて考えさせられました

高畑勲監督の世の中を風刺するメッセージが、最後の最後まで込められていて、印象に残るシーンでもありました。

まとめ

・最後に正吉とぽん吉が再会し喜びを分かち合うシーンで心がホットし、少しは救われた気がしましたが、最後の最後でぽん吉の強いメッセージが心に響きました。

・最後のセリフの意味は、環境破壊の危うさはもちろん、自分勝手な行いで誰かが犠牲になったり傷つくことがあることを忘れないで、というメッセージとも受け取れることができ、考えさせられる場面でもありました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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