映画「平成狸合戦ぽんぽこ」は、1994年公開の映画で、高畑勲監督の現代社会を風刺する作品として注目を集めました。
ジブリ映画の特徴としては、意味深なメッセージが多く見られ、視聴者に解釈を委ねるシーンや表現があるので考えさせられ気になりますよね。
今回は、そのシーンの一つでもある宝船のシーンの意味と死出の旅からラストの考察につて述べていきます。
平成狸合戦ぽんぽこの宝船のシーンの意味
「バイバイでさようなら」って、なんか『平成狸合戦ぽんぽこ』の宝船を思い出すんだよね。背景はまるで違うけどさ。 pic.twitter.com/UGLKx5Wfje
— 健信院正法(しろー) (@showbow_ken) February 18, 2016
映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の最後の方に、太三郎禿狸たちが宝船に乗って楽しそうに宴会をするシーンがあります。 残された正吉狸達は、悲しそうな目で船を見ているシーンですが、あれにはどういった意味があるのか気になります。
まずは「平成狸合戦ぽんぽこ」のあらすじを簡単におさらいしたいと思います。
あらすじ
昭和40年代の多摩市の山里で暮らすタヌキたちが人間たちが行う「多摩ニュータウン」の開発に対抗する奮闘物語。
反抗にかけた年月は4年間という長き戦いです。タヌキたちは「化け学」という「人間を化かす特技」を使い「多摩ニュータウン」の開発を阻止するべく闘う。
1年目は、古狸の火の玉おろくから化け学を教わったタヌキたちは、お化けに化けたりして工事の進行を邪魔する。ほとんど効果なし。
2年目は、玉三郎を四国、文太を佐渡に派遣。1年目から続けてきた「化け学」の効果は、小規模な騒ぎになるだけで、全体としては、工事の進行を阻止できない。
3年目は、強硬派の権太と慎重派の正吉たちが対立している所に、四国から太三朗禿狸・隠神刑部・六代目金長らがやってきて、3長老の指導のもと、百鬼夜行を行い工事の邪魔をするが、逆にそれはニュータウンを期待する市民にとって、格好の余興になり楽しまれてしまう。
作戦が失敗すると、タヌキたちの間では結束が乱れ始める。そんな中、多摩の化け狐竜太郎が金長に「人間とともに暮らす道を選んだ方がよいのでは?」と提案するが、タヌキたちは「自分の縄張りを守ること」に必死となったが上手くいかない。
ついに、太三郎禿狸は踊念仏を始め、宝船に変化して多摩川に繰り出し死出の旅に出てしまう。その後権太たち強硬派は、工事現場で座り込みを行い抵抗するが、落命してしまう。
4年目は、故郷した文太は故郷の変わりように愕然とし、残ったタヌキたちは最後の力を振り絞り、かつのて美しい多摩丘陵を化け学をもって見せつけるが、結局努力は実らず、タヌキたちは散り散りになり、そのほとんどは化け学を駆使して人間として暮らすようになる。
タヌキたちの努力の甲斐は虚しく人間たちに敗北してしまう訳ですが、宝船に乗り死出の旅に出るタヌキたちの心境はどうだったのでしょうか。その一文をみていきます。
死出の旅
昨日、見し人今日はなし今日見る人も、明日はあらじ明日とも知らぬ我なれど、今日は人こそ哀しけれ、
世の行く末を、はかなんでもはやこれまでおさらばと作り上げたは宝船、
声も高らに身もほがら並のタヌキの一団は極楽浄土をまぶたに描き遠足気分でいそいそと、
乗り込む姿ぞ哀れなる宝船、打つやうつつの夢の夜を賑やかに並のタヌキを満載し金銀珊瑚に埋もれて遠ざかりゆく宝船よも泥舟ではあるまいに、
見送るタヌキの眼に涙朧に霞む薄原ただ春の夜の夢のごと月のうさぎを仰ぎつつ阿弥陀の招く極楽の補陀落目指し、賑わしく宝の船は死出の旅、
ソレ ドンジャンドンジャン死出の旅、並のタヌキは死出の旅行きて帰らぬ死出の旅、
ソレ ドンジャンドンジャン死出の旅、哀れタヌキは死出の旅ドンジャンドンジャン死出の旅トホホ…人間にはかなわないよ…
宝船に乗って、多摩川に出たタヌキたちは、死出の旅に出かけるのですが、一見すると楽しそうな宴会みたいにみえるシーンにも見えますが、覚悟を決めた最後の旅に出かけるタヌキたちの哀愁のようなものが感じられます。
極楽浄土へ行くために念仏を唱えながら、「死出の旅」といって死に場所を探し求め旅に出かけるわけですから、悲しくて泣けるシーンでもありますよね。
この宝船の悲しいシーンにはどんな意味やラストへのメッセージが込められているのでしょうか。
平成狸合戦ぽんぽこのラストの考察
『平成狸合戦ぽんぽこ』
環境保護をテーマにしていることと
もうひとつテーマが存在する 「タヌキたち」は
第二次世界大戦後の「日本人」
「人間」は「アメリカ人」を 表している。 pic.twitter.com/aqJOcgJYnx— 大人気アニメの裏話♡ (@anime_naisyo1) March 23, 2019
ハッピーエンドで終わることのない物語なのですが、高畑勲監督の現代社会を風刺するような「平成狸合戦ぽんぽこ」という作品には隠れたメッセージがいくつか隠されています。
人間とタヌキとの戦いでもありますが、タヌキを日本と置き換え、人間をアメリカと置き換えて、反戦を訴えているメッセージがあるとも受け取れます。
高畑勲監督は「平成狸合戦ぽんぽこ」の前には、「火垂るの墓」という「日本とアメリカの太平洋戦争」を描いた作品を制作されています。
私は、この2つのメッセージがあるのではと考察します。
メッセージ
1.人間中心で生きていくことへの警鐘
人間中心で世の中が回っていくことの危惧が描かれていて、タヌキや他の生き物たちにとって住処は山しかないのです。自然破壊を続けることへの警告でもあり命の大切さを訴えるメッセージも込められています。宝船のシーンは追い出されたタヌキたちに死を選ばざるおえない状況に追い込んだ悲劇です。
人間はその他の生き物をないがしろにして、人間中心で環境を破壊し生き物を殺したりすることに対する危うさを訴えていて、このままではいつか人間たちも滅びてしまう。もっと環境やその他の生き物を大事にし平和で仲良く共存できる世の中にしていこうというメッセージとも受け取られます。
現代社会もそうですが、あまりにも人間は自分たちを中心で生きているので、もっと全体を見た視野で制作を取らないといけませんよね。地球ができた頃は、生物以外何も無かった訳ですから、その何もなかった時代が一番平和で長く続きましたからね。
2.反戦や弱者に対するメッセージ
「平成狸合戦ぽんぽこ」は、人間とタヌキたちの戦いが描かれていますが、人間との力の差のあるタヌキたちは、住む場所が無くなる前に戦いを挑んでいく構図が「日本とアメリカの太平洋戦争」に似ています。宝船のシーンが集団自決のようで切ないです。
人間とタヌキの力関係と同様に、日本もアメリカとの力の差を理解していたので、外交交渉を試みましたが、うまくいかず。そこで「戦わなくても、戦っても負け」という選択に迫られた日本は玉砕覚悟でアメリカとの戦いに挑みました。結果は周知のことです。
この構図が「平成狸合戦ぽんぽこ」でのタヌキの住処である山を徐々に奪っていき、タヌキは包囲され戦いを選ばざる得なくなった状況に似ているわけです。
やがて強者は弱者にもなりますし、いつまでも勝ち続けることは出来ません。それは戦争だけの話ではありませんよね。
まとめ
・宝船のシーンの意味は、最後くらいは楽しく終わりたいという計らいがあり、一見すると楽しそうな宴のシーンにもみえるが、死出の旅に出るという死に場所を探し求め旅に出る悲しく泣ける場面です。
・ラストのメッセージには、人間が人間だけしか考えていない、弱者に対する環境破壊などの行いへの危惧がメッセージにに込められていると思われます。
・宝船のシーンは集団自決する、戦いに負けた日本を表している構図とも考えられ弱者に対する行いの虚しさを考えさせられ、それは反戦や日頃の行いを考えさせられるメッセージでもあると考察します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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