鬼滅の刃・遊郭編は、遊郭に潜む鬼を探し、音柱・宇髄天元と共に竈門炭治郎が初めて上弦の鬼を倒す物語。
遊郭は現在の世の中には存在しませんが、遊郭だった建物をそのまま現在も活用しているお店は少なくないようです。
今回は遊郭編のモデルやロケ地について考察していきます。
目次
鬼滅の刃遊郭編の聖地/ロケ地/場所はどこ?
鬼滅の刃は大正時代の物語なので、当時は遊郭というものが存在していました。
しかし、遊郭編のロケ場所は明記されていないので、詳しくは不明です。
なので、作者の吾峠呼世晴さんが参考にしたと思われる似てる場所はいくつかあるので、ご紹介します。
まず、その前に、鬼滅の刃遊郭編についてと、実際にあった遊郭について簡単にまとめています。
<鬼滅の刃遊郭編についてわかりやすく解説>
鬼滅の刃における遊郭編とは、宇髄天元と炭治郎達が遊郭に潜んでいる鬼を探すところから始まります。
宇髄天元は、先に自分の嫁3人を鬼が潜んでいる候補の店にそれぞれ潜入させていましたが、連絡が途絶えた為、炭治郎達に女装させて先に嫁探しをさせます。
潜入していると、遊女の「足抜け」いわゆる行方不明が頻発していることや、店の女将の死亡事故が発生したことが分かり、鬼の仕業ではないかと考えます。
その中で、善逸が潜入した「京極屋」にいる蕨姫花魁が鬼であることに気付いた善逸は、鬼に捕らえられて行方不明となってしまいます。
炭治郎が夜に鬼が出現したことに気付き、遊郭に潜んでいた鬼は上弦の陸・堕姫で、自分の帯に遊女たちを取り込んで、食料としていた為に行方不明が頻発していたようです。
宇髄天元が堕姫の首を落としても堕姫は死なず、体から堕姫の兄・妓夫太郎が出てきて、上弦の陸が2人で1つであることが判明しました。
炭治郎たちは妓夫太郎の毒や堕姫の帯に苦戦しながらも2人同時に倒すことに成功しましたが、宇髄天元は戦いの中で左目と左腕を失い、柱を引退することとなりました。
<遊郭についてわかりやすく解説>
そもそも、1585年に豊臣秀吉が大坂の街に遊女たちを集めた場所を建設させたのが「遊郭」の始まりとされます。
日本全国で観光客向けに宿場町が形成され、客を接待する遊女が置かれたことが始まりと考えられています。
大阪から始まり、日本全国で確認されていた遊郭は少なくとも25箇所ありました。(江戸時代)
・京島原(嶋原)
・伏見夷町(撞木町)
・伏見柳町(中書島)
・大津馬場町(馬場町、現在の大津市長等)
・駿河府中弥勒町(府中宿、現在の静岡市葵区駒形通5丁目)
・江戸三谷(吉原遊廓)
・敦賀六軒町(現在の敦賀市栄新町)
・三国松下(松ヶ下、現在の坂井市三国町)
・奈良鴨川木辻(現在の奈良市東木辻町・鳴川町)
・大和小網新屋敷(現在の橿原市小綱町)
・堺北高洲町(現在の堺市堺区北旅籠町東)
・堺南津守(現在の堺市堺区南旅篭町東)
・大坂瓢箪町(新町遊廓)
・兵庫磯町(現在の神戸市兵庫区磯之町)
・五町街(中村遊廓)
・佐渡鮎川(現在の新潟県佐渡市相川会津町)
・石見温泉(現在の島根県大田市温泉津町温泉津稲荷町)
・播磨室小野町(現在の兵庫県たつの市御津町室津)
・備後鞆有磯町(現在の広島県福山市鞆町鞆)
・広島多々海(現在の広島県竹原市忠海町)
・宮島新町(現在の広島県廿日市市宮島町新町)
・下関稲荷町(現在の山口県下関市赤間町)
・博多柳町(現在の福岡市博多区下呉服町)
・二本木(現在の熊本市西区二本木)
・長崎丸山町寄合町(丸山、現在の長崎市丸山町・寄合町)
・肥前樺島(現在の長崎市野母崎樺島町)
・薩摩山鹿野田町(山ヶ野金山、現在の霧島市横川町上ノ山ケ野)
そこから遊郭は発展していき、1872年に「芸娼妓解放令」が発令されるまで遊女や遊郭は事実上存在しました。
その後、遊女屋は貸座敷と名称を変え、貸座敷指定地は全国で541箇所も存在していました。
発令後も遊女は「娼妓」と名前を変えたりして存在していましたが、1958年の「売春防止法」により遊郭・遊女は消滅しました。
遊女の中でも太夫や花魁は芸や音楽などの教養も求められ、職業としても確立していたようです。
その後、現在公認の娼婦街はありませんが、表向き料理旅館に転向しつつも、客と仲居との個室内での交渉「自由恋愛」の名目に、かつてと変わらない営業を継続している地域もいくつかあります。(例:大阪の飛田新地(飛田遊廓)など)
また、東京の吉原のように、かつての公娼街がその後、ソープランドや風俗営業の多く集まる地域となり、公娼地域同然の状態が継続している地域も全国に多くあります。
大阪の鯛よし百番が遊郭編のモデル場所
下記のTwitterのURLから鯛よし百番の内部も3D映像が見られます。(ときと屋・京極屋・萩乃屋に似ている部屋が見つかります↓)
大阪飛田の元遊郭建築・鯛よし百番さんの内部も3Dで見られるようになってるみたいなので是非〜。
→https://t.co/NxtgjzoDHQ pic.twitter.com/NWEFydmZ0X— 黒豆カヌレ@フルカラーBL配信中ㅎㅎ (@kuromame0000000) November 15, 2021
鯛よし百番は、大阪の西成区にある料亭・会席料理屋です。
鯛よし百番は「飛田新地」と呼ばれる地区にあり、大正時代に建てられ、かつては遊廓として使用されており、「百番」という屋号は遊廓でも最上級の格を表しています。
こちらのお店は大正時代の遊郭建築を今日に伝える近代和風建築として評価されており、国の登録有形文化財に指定されています。
内装もかなり豪華で、花の模様が描かれた壁や金色の装飾に包まれた部屋や赤いカーペットなど、遊郭のイメージ通りのお部屋が多くあります。
こちらのお店では会席料理はもちろん、お鍋も人気なようで、寄せ鍋やちゃんこ鍋など様々な種類があります。
ただし完全予約制の為、突然訪問してもお食事は頂けないのでご注意ください。
公式サイト→https://k069800.gorp.jp/
住所:〒557-0001 大阪府大阪市西成区山王3丁目5−25
浅草の吉原が遊郭編のモデル場所
吉原遊廓(よしわらゆうかく)とは、江戸幕府・徳川家康によって公認された遊廓でした。
本日より、太田記念美術館にて「江戸の女装と男装」展がオープン。図は吉原俄という遊郭でのお祭りを描いた作品。拡大図右は男装をした女芸者による獅子舞の集団、左は女芸者による、移動式屋台での八犬伝ものの芝居の様子。落合芳幾「新吉原角稲本楼ヨリ仲之街仁和賀一覧之図」(国立音大附属図書館蔵) pic.twitter.com/TIpUJwrHdf
— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) March 2, 2018
吉原神社
東京都台東区千束明暦3年(1657)日本橋葺屋町から現在の千束村に吉原遊郭が移転し新吉原と呼ばれました。明治5年に吉原遊郭内に祀られていた玄徳稲荷、榎本稲荷、明石稲荷、開運稲荷、九郎助稲荷の五社を合祀し吉原神社に改称され昭和10年には吉原弁財天社が合祀されました。 pic.twitter.com/6EFs8DWS9V
— 北向き地蔵 (@japanesejizo) October 11, 2021
新吉原とは、江戸時代に浅草北部にあった遊郭が集まった場所の事です。
元々は日本橋の東側にあったのですが、火事によって移転してきたことで、以前の場所を元吉原、移転先のことを新吉原と呼んだようです。
吉原遊廓は当時最大級の規模を誇っており敷地面積は2万坪あまり。
最盛期で数千人の遊女がいたとされ、江戸市中の中でも最大級の繁華街であり、吉原と芝居町の猿若町と日本橋が、江戸で一日に千両落ちる場所といわれていました。
ちなみに、現在は新吉原という地名はありませんが、東京の台東区にある吉原大門跡というところが新吉原の入口で、その先に続く仲之町通りが新吉原のメインストリートでした。
東京の名所案内をして欲しいと言われたので、#鬼滅の刃▪#吉原遊郭編 で今後は聖地として賑わうであろう(?)、浅草寺の裏は千束にある吉原の遊郭跡を案内してきました😊
大門をはじめ、見返り柳、お歯黒どぶ跡、吉原神社や弁財天本宮など今は風俗街ながらも見所が多々ありお勧めです!#吉原#遊郭 pic.twitter.com/Z6HjzMkgZz
— ちば (@norikenkid) October 30, 2021
遊郭編始まるからこの間行った元遊郭、吉原神社の写真載せるね…☺♥️ pic.twitter.com/qRxDlOk4G1
— るも (@moruru_0) December 5, 2021
鬼滅の刃の遊郭編が始まるということで、鬼滅グッズを持ったファンが吉原神社に参拝に訪れており賑わっているようですね。
また、当時の遊郭の周りにはお歯黒ドブと呼ばれる堀で囲まれていた為、遊郭の出入口は吉原大門しか無かったようです。
現在の吉原のあたりは、その名残でソープランドと喫茶と呼ばれる案内所が多く存在するようですね。
住所:〒111-0031 東京都台東区千束3丁目20−2
鬼滅の刃遊郭編みたいな泊まれるホテル
大阪の鯛よし百番のように、現在も遊郭の建物を使用しているホテルはたくさんあります。
その中でも、特にファンの中で噂になっている2つの宿を紹介します。
静岡県(修禅寺温泉の五葉館)
宿泊先の旅館が鬼滅っぽい。#五葉館 #修禅寺 #鬼滅の刃 #流行る前から pic.twitter.com/TINCsvhjmG
— Aki Kuroda221@12/3 877RACING走行フェス TC1000 (@Akihisa_Kuroda) October 23, 2020
こちらは元々遊郭であった建物を使用している訳ではありませんが、遊郭風にデザインされた温泉旅館です。
また、襖が炭治郎の羽織と同じ模様・色であるお部屋もあるようで、遊郭だけではなく鬼滅の刃の世界観が楽しめる旅館です。
公式サイト→http://www.goyokan.co.jp/
住所:〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺765−2
岐阜県(旅館かみなか)
花岡町の旅館かみなか
明治中期に建てられた遊郭建築の面影をそのまま残す貴重な建物
(登録有形文化財・景観重要建造物) pic.twitter.com/uSa0lWNAAn— 飛騨高山ライブカメラ管理人 (@livetakayama) May 30, 2016
こちらは遊郭建築として日本一の保存状態であると言われており有形文化財の宿として伝統を感じられます。
こちらは1888年に遊郭として建てられ、現在も老舗旅館として営業されています。
こちらでは日本の伝統文化を体験できるプランがあったり、日本庭園を眺めながら食事の取れる部屋があったりと、歴史を感じることが出来ます。
公式サイト→https://kaminaka.info/
住所:〒506-0009 岐阜県高山市花岡町1丁目5
また、遊郭ではありませんが、福島県にある芦ノ牧温泉の大川荘は、鬼舞辻無惨の無限城にそっくりであると噂になっていますね。
旅館の吹き抜けには大きな階段があり、夕方には大きな踊り場で三味線の演奏をされているそうで、無限城を三味線で操っていた上弦の肆・鳴女を彷彿とさせます。
旅館の近辺は重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、江戸時代の家並みや雰囲気を味わえます。
女将さんも「来館のきっかけが鬼滅の刃であるというお客様がいらっしゃる」とお話されており、すでにファンの間では有名な聖地のようです。
鬼滅の刃遊郭編の花魁まとめ!鯉夏/須磨/蕨姫についても
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鬼滅の刃「立志編・無限列車編・遊郭編・刀鍛冶編」を視聴する方法を紹介しています。
U-NEXTを楽しむためには「31日間の無料トライアル」に申し込む必要があります。
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以下に、スマホでU-NEXTに登録する方法を簡単に解説しています。
<登録は簡単で誰でも5分ほどで出来てしまいます。>
いざという時の解約についても解説しているので、合わせてチェックしておくことをおすすめします。
まとめ
鬼滅の刃に出てくる場所のモデルについては、明言されている訳では無いので、今回の記事はあくまで推測であり似ている場所の紹介です。
その場所がモデルで描かれている訳では無いにしても、似ている場所に訪れたり、当時の雰囲気を感じに行けば、更に鬼滅の刃を好きになれるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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